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[news] 掲載/フリーペーパー『.DOCK』04

神戸市が発行しているフリーペーパー『.DOCK』4号内の企画で、六甲ビールのラベルをデザインしました。
オーストラリア、イギリス、韓国のデザイナーとともに掲載されています。

>>『.DOCK』の過去分はこちらで見ることができます

08/17, 2013 - news

[others] 『モノの見方』再掲載

以前にお知らせさせていただきました、2013年3月に神戸市より発行されたフリーペーパー『.DOCK』3号に書いた記事の件で、実は、掲載時に1行すっぽりと抜け落ちていた箇所がありました。
許可をいただいて、以下に正確なものを掲載させていただきます。

>>『.DOCK』の過去分はこちらで見ることができます

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『モノの見方』

ちょうど1年ほど前、2012年の3月末に『.DOCKTALK「デザイン」の内と外』という全9回のトークイベントが行われた。その中から、「モノの見方」をテーマに歌人の光森裕樹氏をゲストに迎えた回に関して、企画に至った動機とその後の1年間で考えたことを合わせて振り返ってみようと思う。(テキスト:近藤聡)

1.
ある別のトークイベントで話を聞いていた時のこと。ゲストがコミュニティの形についてのイメージを話されていた。ずいぶん前のことなので正確な言い方は忘れてしまったが、両手をつないで輪になっているのではなく、片手を差し出し重ねて円陣を組んでいるイメージ、空いているもう一方の手が外側に向かって開いているという主旨であった。これを聞いた時に気がついた。例えば、普段の仕事の中で何らかのコミュニティのシンボルマークを依頼されたとする。その時に、先のイメージの違いは、圧倒的にアウトプットとしての差となって表れる。デザイナーとして、最終的な表現の質や機能を高めていこうとするのは当然として、表現を始める以前の、対象をいかに認識し、どう把握するかは、最終的な答えの質を決めることとなる。

2.
「デザイン・クリエイティブセンター神戸」までタクシーに乗った時のこと。運転手曰く「デザインって難しいよね、センスもいるし」。お客さんを乗せて目的地まで迷わずに快適に運ぶことも難しく、センスのいることだとは思うが、とかくデザインはこういう言い方をされることが多い。特に最近は、「デザイン」が活用される場面も増え、果たす役割を簡単に一言で説明しにくい状況でもあって、言葉は広く一般的になったとはいえ、その中身に関してはまだよく分からないものとして扱われる場合も多い。辞書的な意味としては、目的に向かって何かを立案・設計すること、またはされたもの、と考えて大きく間違いはないと思うのだけれど、それ以外の意味が含まれていることも多く、定義は人の数だけあるといってもよい状況にある。

3.
「デザイン」の意味や役割が広がるなか、地域や職域、組織などの、さまざまな「内」と「外」をテーマに、「デザイン」の輪郭を探る試みとして、『.DOCKTALK「デザイン」の内と外』は行われた。[1.]や[2.]のようなことを考えている中で、最終的なアウトプットとしての表現以前に、対象を言葉で把握する重要性に焦点を当ててみたいという思いと、「デザイン」を短い言葉で定義づけすることへのヒントになるのではないかという思いから、私は自身の担当回で、歌人の光森裕樹さんに話を伺った。私も特に短歌に詳しいわけではないのだが、角川短歌賞や現代歌人協会賞を受賞するなど、常日頃から言葉に向き合い続けている同世代の方に話を聞いてみたかったのだ。偶然出会った著書に触発され、多くの気づきを得ていたことがそもそものきっかけとなっている。

4.
どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと

あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず

齧りゆく紅き林檎もなかばより歯形を喰べてゐるここちする

光森さんの著書『鈴を産むひばり』(発行/港の人)より。虹を見つけた時、ネットサーフィン中、りんごを丸かじりしながら。どれも日常の光景だが、当たり前に流れていく時間をとどめるかのように言葉にすくいとり、独自の世界を築きあげる。同じもの・ことを見たり、したことがあるのに、気がつかなかった世界。光森さんは当たり前のことの中にこそ「発見」があると言う。また、何にでも発見があるはずだと信じることで、誰にでもできることだと思ってもいる。当たり前であるからこそよく見ていない状況で、対象を初めて見るものとして接することで新鮮な視点が獲得できる。さらに、その「初めて見たもの」を知らない誰かに説明しようと踏み込むことが、特別な表現として意味を持つ可能性となる。歌にしたいのは発見そのものではなく、それ以上に発見した時の気持ちや感じたことであるという。発見のその先へ。

5. [1.に応じて]
表現を始める以前の、対象をいかに認識し、どう把握するかという「モノの見方」は、鮮度ある回答を導くための「問い」へとつながっていく。すなわち、いま何が求められ、何を解決すべきなのかを、初めて触れる問題として「発見」することこそが、デザイナーに求められる職能であり、回答としての表現を生み出す能力と等しく重要となっている。アウトプットの質を高めていくということは、「問い」そのものに因る。言い方を変えると、アウトプットの質の高さを定義するためには、正しい「問い」が見つけられ、設定されなければ難しい。「答え」は「モノの見方」から生まれてくる。

6. [2.に応じて]
デザインを一言で説明するのはやはり難しい。そういう意味ではタクシーの運転手の言葉も正解なのだが、ちょうど目的地に到着するタイミングだったこともあって、「そんなことないですよ」と曖昧な返事でやり過ごしてしまった。答えはいくつもあるだろう。何と答えるかはこれからも考え続けてよいと思うが、向かうべきはそもそもの発言が出てこない状況。デザインという形がはっきりと決まっているのではなく、それぞれの思うデザインの集合として輪郭が表れるのだとすれば、センスや感性というあいまいな言葉ではなく、簡単で分かりやすい具体的なものとして広く、共有してみたい。デザインそのものを「初めて見たもの」として誰かに説明するとしたなら。

-----(2013.3)

08/12, 2013 - others

posted by Satoshi Kondo