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[diary] 1周年を迎えて

オープニングパーティから、昨日でちょうど1年。1年前のその日はよく晴れていて、お越しのたくさんの方々からお祝いや励ましの言葉をいただいた。感動が過ぎて酔っぱらったことも、理由もなく何となく安心したこともよく覚えている。が、それはもう1年どころかもっと、ずっと前のことのような気もしていて、それはつまりこの1年が充実していた証として、そのことにはちゃんと胸を張れる。お世話になった&なっている方々にはほんとうに感謝しかない。ちょっと振り返るだけでも、実にいろんな人や出来事に出会うことができたし、今まで経験したことのない新しいチャレンジも始まった。

独立する前もした後も、規模の大小や進め方の差こそあれ、グラフィックデザインを軸とする制作という意味では、仕事の内容に大きな変化はない。にもかかわらず、意識の在りようは大きく変わった。事務所の運営や金銭的なことが関係しているのはもちろんだけれど、何よりもやはり自分の、大げさに言うと世の中や社会に対する関わり方に依るところが大きい。「自分の」デザインや「自分の」発言という意識が強くなって、単純に言うと責任が少し大きくなった。

さて。
震災から2週間以上が過ぎた。原発の状況はまだ予断を許さない、どころか日々悪化する一方に見える。自分の価値観すら揺るがされるような出来事の中、気持ちの置きようにすら自信が持てず、現地や現場に思いを馳せて祈るばかりで、無邪気に前を向いているだけでいいのかと不安になることもある。募金以外にできることや日々の暮らしの在り方なんかを考えて、結果、できることは限られているのだから、今のところはそれを続けていくしかないのだと情けなくもフラットに思い直す。いつだって役割はそれぞれなのだ。職能やそれ以外にできることも、置かれた状況や立場に応じて発揮するしかない。あとはもう、個人としてどう向き合い、いかに関わるか。できることしかしない、というのも、できることだけをやる、というのも、やっていることに大差はないが、関わり方と責任感で結果が違う。

1年と少し前。「明後日デザイン制作所」という屋号でスタートすることを決め、みなさまにお送りさせていただいたご挨拶の言葉。
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デザイナーの感性や職能を求められる機会が大きく変わりつつある中、ヴィジョンをよりよい形で視覚化していくことの重要性を今まで以上に感じています。

今日より明日が少しでもいい日になるように。
明日がいい日になれば、
あさってはきっと、もっとすばらしい。

伝えたい様々な想いやモノ、コトを具現化していくあらゆる場面で、グラフィックデザイナーとしてできること、すべきことを、ささやかながら精一杯、努めていきたいと思います。
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1年が経って、想像もしていなかった出来事が起こり、言葉に託する意味はより大きくなったけれど、思いは変わらない。初心にかえって、また一歩ずつ。何をしたってしなくたって、日々は続いていく。

03/29, 2011 - diary

posted by Satoshi Kondo

[diary] 秋休み、台湾にて

ひと月も前のことをアップするのも今さらな気もしたけれど、バタバタとした日々がぽっかりと一段落したので、忘れないうちに。
9月の半ばに家族で台湾に。私にとっては生まれて初めてのアジア旅行。10年ほど前に知って、その頃から一度は行ってみたかった日月潭という湖に行ってきた。台北から新幹線で約1時間、さらにバスに乗って、、、1時間強(だった気がするけれどひと月も経って忘れてしまった。)バネのようにゆやんゆよんと上下に揺れ続ける運転手のすぐ後ろに座って、原付用の車線がある高速道路や日本とは違う山のカタチを楽しみながらのちょっと長いバスの旅路。調べてみると自転車で湖の周囲をまわることもできるらしいのだが、1歳の娘が一緒ではやはり難しく、船やらバスやらであちらこちらを巡る。行ってみていい所だったら泊まればいいし、それほどでもなければ日帰りで台北まで戻る、というざっくりとした予定を組んで。
ちょうど旅行に行く前に読んだ『巨人ファン善人説 男性自身シリーズ』(山口瞳/新潮社)という昭和52年発行の古い本の中に、「贅沢な旅というのは、遠い所へ行ったり、グリーン車に乗ったり、有名ホテルへ泊ったり、高価なものを食べたりすることではない」とあって感化され、のんびりと「贅沢」をするつもりで出かけていったのだが、それにしても日月潭には刺激がなさ過ぎた。じゅうぶんに美しい場所ではあったけれど、10年かけて熟成された自分の想像を超えるほどのものでもなく、前日に滞在した台北の刺激が恋しくなって、結果、また新幹線に乗って日帰り。

台湾では、コンビニやスターバックスで売っているカードを買って簡単な設定をすると街のあちこちで無線LANが使えるようになるので、それを使ってiPhoneでtwitterをしていたら、いろんな方から台湾情報を教えていただいた。旅先でくらいそういうツールから離れてもいいんじゃないか、とは我ながら思ったけれど、ちょっと「情報」ということについて思うところがあったので、実験も兼ねて。おかげで素敵な本屋さんも知ることができたし、ガイドブックでは知り得ないおいしい食事にもありつけた。
台北の地下鉄では、娘とベビーカーとで乗るとほぼ100%の確率で席を譲ってくれたし、お年寄りに席を譲っている風景もよく見た。あちこちで日本語も通用するし、コンビニなんかに入った時に店員さんの、(「歓迎光臨」と言っているのだと想像できるのだけれど、)何と発音しているのかよく分からない「XXXXコンリ〜ン」という響きもとてもかわいくて好印象。

結局、あれが見たい、これも食べたい、故宮博物院は行かねばなるまい、とドタバタし続けて「贅沢」はできなかったけれど、実りの多い旅に。日本語でまだ「ありがとう」を言えなかった娘も「シエシエ」は言えるようになって、言葉のうまくない私たち夫婦と向こうの人たちとのコミュニケーションを大いに助けてくれた。

10/25, 2010 - diary

posted by Satoshi Kondo

[diary] 夏休み

夏休みに海へ。シュノーケルを付けて海草の間を泳ぐ魚を眺めながら、ぷかぷかと。深いところでは、水に浮かんでいるのにとても高いところにやってきたような不思議な感覚を味わって、年甲斐もなく夢中になっていたら波に酔う。
普段見る瀬戸内海では、太陽は海に向かって左側からのぼり右側に沈み、雲は右からやって来て左に流れていくのが、日本海では逆になる。台風が来たこともあり、沖に降る雨の凄まじさを、まだ雨の降っていない浜から眺めたり。
自分を取り巻く、文字通り「環境」の大きな変化をただ受け止めて、よく遊び、よく食べ、よく飲み、よく寝た、夏休み。

08/17, 2010 - diary

posted by Satoshi Kondo

[diary] de sign de > の熱

大阪の中之島BANKSに2011年春にオープンする、デザインミュージアム『de sign de > ( デザインで)』のプレオープンイベントに行ってきた。告知の案内がされていた三木健さんのColumnでは、『de sign de >』という名称や、シンボルマークに込められた想いが説明されていて、そのシンボルマークの動的なあり方が新しい場所のこれからを予感させていて、ここ最近、日頃の仕事に追われる中でつい後回しにしてしまっている大事なことを再確認できる気がしたのだ。

昼間の酷暑も少し和らいだ夕刻、通り抜ける風も気持ちいい水辺の現場にはたくさんの人が来ていて、やっぱりみんな、新しい出来事に期待をしている風にも見える。順番にイベントが行われて、お目当てにしていたコミッティメンバーによる記念トークイベントもそつなく終わり、レセプションパーティー。お酒もいただいて、建物の中も観覧して、幾人かの方とご挨拶もしたりして。そろそろ帰ろうかと思っていたところ、先ほどのトークイベントの会場でまた何やら話が始まっている。

少しお酒も入っているからかもしれないし、それだけではないような気もするし。トークイベントのメンバーのうちから三木さんと服部滋樹さんが、ご自身達で先のイベントの批評を始めているのだ。先とは違って今度はお客さんで来ていた方達からもするどいツッコミが入っている。どういう経緯で始まったのかは分からないのだけれど、新しいデザインミュージアムの船出として、刺激的な出来事がなかったことに不満を持った人たちが、ではどうあるべきなのかをその場で検証し始めている様子。ごく少数で始まったこの予想外の出来事が熱を帯び、徐々にまた人が増え始め、そうして最後にはまたコミッティメンバーが勢揃いして議論は転々と。

個人的には、テーマが決まっているわけでもナビゲーターがいるわけでもない、プログラムに用意されていなかったこの「事件」が、結果として、新しいデザインミュージアムのスタートにふさわしいように感じられた。デザインの新しい「場」に対して、様々な人がいろんな立場から言いたいことを言う。柳原照弘さんがおっしゃった「人のつながりがコレクション」という主旨の言葉にふさわしい始まり。確たることはまだ決まっていないにしても、向いている方向は確実に共有されていて、そちらへ向かおうとする「本気」の熱に冒される。私はギャラリーとミュージアムの差も、実はよく知らなかったけれど、こんなデザインの「場」に参加したかったんだな、ということを痛快な刺激の中で実感することができたし、それはつまり、つい後回しにしがちな大事なことがここにくれば再確認できる、ということにも繋がった。

月並みな言葉で、他に何と言えばいいのかが分からないのでそのまま書いてしまうけれど、「サロン」は、いつでも自然発生的に生まれるもので、みんなそれを生み出すために土を耕し、穴を掘り、種を埋めているのだとしたら、この場所に関わっている方のご尽力でそれがなされ、この日、確かに芽生えていたように思う。最後までいられなかったことと、私が知っているグラフィックデザイナーの参加が少なかったことがちょっと残念。

>>告知の案内がされていた三木健さんのColumn

08/08, 2010 - diary

posted by Satoshi Kondo

[diary] 常識のカタチ

自分が住んでいるマンションの理事会にて。理事会といっても階下のおじさんと2人。お年寄りが増えてきている住人の中ではそのおじさんも若手で、私にいたってはひよこみたいなもんだ。特にこれといった議題があるわけではなく、3Fに新しい人が入ってくるみたいだね、小さいお子さんもいるみたいだよ、とか、世間話なんかを交えながら、理事長であるおじさんの報告を聞く。もしかすると来年、自分がその役をしないといけないかもしれないのでまじめに聞いておく。

そうして一通り、義務的な話が終わった後の雑談中に、常識っておもしろいよね、という話になった。住人にはいろんな人がいて、当たり前のことながら、それぞれがそれぞれにいろんなことを考えながら暮らしている。その中に、みんなで使用している駐車場に防犯灯を付けた人がいるそうだ。屋外にあって、関係者以外の人でも簡単に出入りができるので、何回か車上荒らしもあった場所だ。防犯灯は、それを付けた人がよかれと思ってしたことだし、費用や手間も負担しているらしい。もしかすると駐車場を利用する人はみんな感謝していたかもしれない。ただ、理事長の立場としては、無断で公共の場所に個人的なものを付けることに対して、注意せざるをえないのだと言う。確かに「ここに花があるときれいだと思って」とか言って、廊下の壁に造花なんかを飾られると非常に困る。ルールとしては総会で承認をえないといけないのだ。「常識的には悪いことだとは思わないので、他から苦情が出るまでは黙認するんだけどね」と困った顔で、理事長の立場の面倒臭さを教えてくれる。

小説だったか、何かの本で読んだんだけれど、と前置きをしてから理事長のおじさんが言うには、「それは法律のことだったけれど、法律は点と点をゴムひもで結んで枠を作っているようなものなんだって。そのゴムひもの引っ張り方で枠のカタチはいかようにでもなる。ただ、点に近いところだとあんまりカタチは変わらない。これと同じで、一応ルールとして点はうつけど、常識のカタチがあるわけじゃないしね」。さらに「常識って実際に、そんなはっきりしたものがあるわけじゃないのに」と、おじさんは2chで読んだ(!)という話もしてくれる。「UFOを信じて研究している人が、基地があると噂される田舎に出かけて行って探すんだけれど見つからない。途方に暮れているところで出会った農夫に、ここらへんで怪しい光を見たことがないか、と尋ねると、そんなのしょっちゅうだ、という答え。研究者がよろこんで、どの辺りなのかとさらに聞くと、農夫はそんなもんを探してどうするのか、と逆に質問。研究者が、実はUFOの基地を探しているんだと話すと、農夫が大笑いして、UFOなんかいるもんか、あれはキツネの仕業に決まっとるがな、だって」。

結局、マンションの理事会らしい話は早々に終わって『常識』の話ばかり。月に1度の理事会は、ほんと言うとじゃまくさいのだけれど、こういう話ができるのなら悪くない。住人それぞれの常識に、これからもゴムひものようなものでカタチを付けていく。

05/19, 2010 - diary

posted by Satoshi Kondo